中央アジア研究所

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Institute for Central Asia

「中央アジア・トゥール研究所」のトゥール・ムハメット先生との出会いからはじまった私の「中央アジアとイスラム文化」の研究である。

中央アジアとイスラムの関係は、長く複雑にからみあいながら歴史を共有してきた。

8世紀ごろ中央アジアを中心に栄えた世界最大のコンツェルン「ムハンマド」が自社の定款として作ったと考えるのが妥当ではないかと思う。
当時、絶大な権力と経済力を保持しながらも、キリスト教やユダヤ教の信者からは信仰をもたないムハンマドは尊敬されていなかった。そのコンプレックスが「アッラーの神」と「イスラム教」を生み出したのだろうか。
その精神世界は今日に至ってもアジアで幅広く信仰されている。

絶えない中東の紛争をみながら、解決の糸口はないのか、なぜ絶え間なく戦いは続くのか、理解できないままに過ごしてきた。そうした思いの中で、そこに暮らす人々の精神的スタンスを支える世界「イスラム教」を知ることが大切であると考えた。

日本とトルコの友好関係は広く知られているが、戦前の日本は中央アジアからアラブ社会に至るまでを視野に入れた幅広い外交をしていた。当時のアジアはイギリスやオランダ、ポルトガルなど欧米諸国による支配や影響下にあったが、自国防衛とアジア全域を欧米列強から解放することを目指していた日本とは、互いに影響を受けながら概ね良好な関係であった。だが、日本の敗戦によって戦後はそうした外交関係が弱くなり、また教育の現場でもそうした良好な関係を教えることはなく、むしろ「旧日本軍によるアジア侵略」「南京大虐殺」などという歪められた歴史観を子どもたちに植え付けてきた。その結果、アジアへの関心は薄れてしまった。

「中央アジア」「中東アラブ」「南アジア」「中央ユーラシア」などと表現は分かれ、遠く離れた異国の地のように思えるが、同じアジアで暮らし、政治経済では強く連帯している国々である。
「中央アジアとイスラム文化」を知ることが、アジアのなかの日本のあるべき姿を導いてくれるのではないかと思う。
いま一度、明治維新から大正・昭和を築いてきた先人たちの想いに心を寄せてみるべき時ではないか。

2012年5月

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